1記事で2社が紹介されています。(もう1社は「青木織布」です⇒後半部に掲載)
以下に、引用して、原文のまま掲載いたします。(敬称略)
(6)「売れる」自信 若手攻勢
「20代の時は青果売り場で、キャベツとかナスとか、大声出して売ってました」。かほく市の「気谷」社長、吉本勇人(46)の声は、確かによく通る。店頭販売の経験のたまものという。
同社は「細幅織物」と呼ばれる、パンツのゴムやマスクのひもなどの製造販売会社。吉本は同市高松の出身で、横浜の大学を卒業後、地元のスーパーにUターン就職し、その後、家業とつながりのあった細幅織物の商社に転職、東京や大阪で営業マンをしていた。
「古里に帰りたい」と大阪で募る思いを抱えていたころ、縁あって「気谷」現会長の氣谷勉(65)の娘と結婚。33歳の時、後継者含みで気谷に入社した。
経営にかかわるのは初めてだったが、大手メーカーからの受注は年々減り、実家も周囲の同業者も次々に廃業していた。生き残るため、スーパー・商社時代に培った「自ら売る力」に再び挑戦することにした。
体は大きいが、腰は軽い。人づてに紹介してもらった東京、大阪の企業を日々訪ね歩き、社内にいるのは週1日ということも珍しくない。「幸い会長が元気だから、私は外回りに力一杯」と、社長兼営業マンとして手芸店やホームセンターにもこまめに足を運ぶ。
東京でアイマスクの製造会社に出向いた時のこと。小さな穴が点々と開き、視力回復に効果があるという商品を見て、「うちに販売代理店をやらせてほしい」と申し出た。「これが売れれば、ゴムひもを発注してもらえる」との狙いからだ。「この商品は対面販売向き。ブレークの可能性は十分ありますよ」と自信を見せる。
最近力を入れているのは、ホームページからの直売事業。「主婦が『売ってほしい』と直接メールしてくる。手作業で送るのは大変だが、注文数は増えている。どう化けるかわからない」と期待を込める。「見えない需要をくみ取るには、色々なことを地道にやり続けるしかないと思ってます」。繊維産業の未来は、吉本ら30〜40歳代の若き経営者たちに託されているのだ。
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2007年の能登半島地震で、能登有料道路は11か所が大きく崩壊した。中能登町の織物会社「青木織布」専務、青木崇浩(39)は、復旧工事に他県の資材が使われると聞くやいなや、関係先に「能登の復旧には、ぜひとも能登の資材で」と、自社製品の売り込みに走り回った。2か所の崩落現場の盛り土の中には、同社の土砂崩れ防止のための、編み目状のシートが埋め込まれ、今も古里の安全を支えている。
実直な語り口で、「地元の復旧に役立ちたくて」と語る青木が、採算度外視の営業に走った背景には、繊維の町・中能登で、産業資材という独自の道を走り続けてきた企業としての矜持(きょうじ)があった。
1970年前後、同社は衣料用から産業資材へ転換。テント用生地や建設現場の防じん用ネットなど、主に土木、建設現場用の資材を“織物”で作っている。依頼を受けて作る賃加工だけでなく、地元ゼネコンと手を組んで共同開発も行う。衣料用織物を作る会社とは機械も、蓄積してきたノウハウも違う。
青木は、同社の後継者候補として、「縮小傾向の繊維業界では、特色のある会社しか生き残れない」と見据えている。100台の機械で100種類の製品が作れる態勢は、客の注文に即座に対応できる大きな武器だ。能登有料道路を支えるシートを作った重織機を持つのも、「ウチだけ」。静かな口調ながら、自信がのぞく。
「この10年、設備投資をしまくってきた。将来への土台はできている」。1本の道を信念を持って突き進むつもりだ。(敬称略)
◎次回は、エコ社会に繊維が貢献できるという話です。
〈細幅織物〉
ゴムひも、テープ、リボン、ベルトなど、細い幅の織物などの総称。洋服やマスクといったメーンの製品に付属する、なくてはならない「名脇役」だ。かほく市は全国最大の産地として知られている。
1月7日付の読売新聞朝刊の北陸人国記(石川)連載の記事 (写真あり) は、こちらです。↓
http://hokuriku.yomiuri.co.jp/hoksub4/rensai/i-jinkoku/ho_s4_10010701.htm
